埼玉の街~歴史と今~

埼玉県の街の歴史と現在

県名の由来

埼玉県が成立した当時の県庁所在地「埼玉郡埼玉(さきたま)村」の名がそのまま県名に用いられました。「埼玉」の名の由来は、かつての埼玉郷の呼称である「さきたま」からとられたなど、諸説あるものの、いずれも未詳です。

大宮の名前の由来

氷川神社の門前町として誕生した大宮。「大いなる宮居」と称された当社の異名を縮め、その名がついたといわれています。

浦和の名前の由来

かつては海岸が迫り、湾曲して陸地に入り込む、「浦」の地形を成していた浦和。名の由来もそこから来ているとされています。

所沢の名前の由来

ヤマイモ科の植物「野老(ところ)」が群生する湿地、「野老澤(ところさわ)」を起源とする説など、諸説があります。

朝霞の名前の由来

昭和初期、駒沢から「東京ゴルフ倶楽部」が当地に移転。クラブの名誉会長だった朝香宮殿下の名を配し、命名されました。

草加の名前の由来

徳川幕府二代将軍・秀忠が当地を通過した際、草が生い茂る一帯を整備させ、将軍自ら「草加」と命名したとされます。

浦和駅~県の誕生から現在まで政治・教育の中枢を担う街

宿場町から県庁所在地へ県の顔として発展を遂げる街

江戸時代、江戸と京都を結ぶ中山道の宿場町として栄えた「浦和宿」。その後、1876年に埼玉県が成立すると、浦和宿には県庁が置かれ、10年余りの間に学校が次々と開校。そのなかには、今も進学校として名を馳せる県立浦和高等学校の前進もありました。大正から昭和初期にかけては住宅地として人気を博し、多くの芸術家も転居。浦和の「文教都市」のイメージは。こうした背景によって築かれていきました。

大宮駅~明治中期、大宮駅の開設とともに交通の要衝として急成長

古社の門前町から県下最大の都市へと発展した街

武蔵国の一宮として名高い大宮氷川神社。その門前町として誕生したのが現在の大宮です。埼玉県成立時から県政の中心を担った浦和に対し、大宮が大きく発展を遂げるのは明治中期からになります。大宮駅の開設を皮切りに、新たな鉄道路線が次々と開通しました。以降急激な人口増加と都市化が進み、県下最大の都市へ成長しました。現在も9つの路線が集中する交通の要衝であり、商業の中心として賑わいを見せている街です。

所沢駅~江戸時代は織物、明治時代は航空。多様な産業により発展した街

宿場町から産業の街へさらに県の中核市へと成長した街

江戸時代には江戸と秩父を結ぶ街道の宿場町として、また織物の一大集積地として栄えた所沢。1911年には日本陸軍により国内初の飛行場が設置されたことから「航空発祥の地」とも呼ばれています。古くからさまざまな産業が根付き、多様な歴史背景をもつ当地も、現在は再開発で多くのマンションが立ち並ぶ一大ベッドタウンに変化しました。かつて蔵造りの商家が軒を連ねていた通りは住宅地が広がっています。

記事作成日:2015年10月04日 最終更新日:2018年01月13日